さよなら、宣伝会議賞。 〜last song for you...〜

「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」

ターゲットをふまえた上で、あえて振り抜く。

第53回宣伝会議賞・シルバー(クレディセゾン

現金??

あぁ、あのポイントつかないやつ?笑

 

すごくハッと、ビックリした。ファイナリスト作品の中でも明らかに目をひいた1つ。

 

ターゲットの項目を読めば、おのずと若者寄りなことはわかる。

だが、?を2つも使って、あたかも現金という単語自体を忘れてて過去のものかのように扱っていることや、(笑)を入れてわかりやすく煽るような文章など、ここまで挑戦的なものはまず見ないし、それをしっかりと出そうという勇気をまず賞賛

そして、そのターゲットならうまく受け止め引っかかってくれるはずだという計算と調整の元だろうなということもすごい。

 

仮に、自分が去年同じような思考回路で考えられたとしても、ここまで振り切った言葉のものは絶対に出てこなかった。 

振り切った故のインパクトであり、だからこそ目立ちシルバーにまで評価されたのだろうという結果を見て、今年はもっと自由にアプローチしなければいけないと強く思ったし、いつもカタク考えがちな者としては、気持ちが軽くなるような気さえした。

 

あくまで相手を考えつつ、フリーダムに取り組みたい。

受け手がなにものであるか。

 

人生の半分は
無職です。

 

第52回宣伝会議賞のグランプリ。
こつこつ貯金することが、カッコイイと思えるアイデア

一切、企業側の「わたくしは何様です」という視点でメッセージが語られていない。

コピーを考えるうえで「何を伝えるか」ということを深堀して、時間をかけた末に見つかる「本質価値」
この本質価値をどう伝えるかという段階に移った時についつい、「わたくしは何様です。」という視点の言い方ばかり考えてしまう。

一方で生活者の目線で見てみると、やっぱり「お前が何様か知ったことか」と思う。

 

コピーを書く上で商品・サービスの本質価値を見つけてあげることは大事だけど、
それは生活者が知りたくて知りたくて仕方なかったこととは無関係だったりする。
そもそも生活者の目線は「自分の内側」に向けられているのでは?と考えると、

 

人生の半分は 無職です。

 

という生活者の内側から答えるような伝え方は正しいし見事だと思う。

 

課題自体が企業、ブランド、製品、サービスの価値を伝えてください、
という設定じゃなかったこともあるけれど、それとは関係なしに、
どの立場から物事を伝えるかという視点でもって「生活者の内側」から
「あたな様はなにものなのである」ということを問うてみる切り口は
非常に良いアプローチ方法なのではないだろうか。

ダジャレは、いったん通る

第53回宣伝会議賞・協賛企業賞(アース製薬) / 眞木準賞

きのう、きょう、アース。


市川 雅一さん

明日、と、アース。明日の側にいるのが当たり前だけどいいですよね。ものすごいポジティブ。(ありえないけど)きょう、アース、あさって。だったら全然ダメなわけで。あと、そういうこともあってダジャレなのにありえないくらい上品。眞木準受賞も納得な感じ。

 

ダジャレは活字を音に分解して近似値的な他の言葉を探る作業なので、なれてしまえば、そして恥じらいさえなければ量産できる領域なので、そこからヒットを狙う感じなのかしら、と、ダジャレがそんなにうまくない人間が考えています。今年は積極的にダジャレ書いていく所存。

当然の真実を直接的に投げかけて、疑問を生む。

第53回宣伝会議賞・協賛企業賞(エヌ・シー・エヌ)

家は、倒れてはいけない。


斎藤 貴美子さん

一般的な価値観からすれば「家は、倒れない」ものだと思うけれども、2011年や直近の熊本地震が脳裏をよぎると、「家は、倒れる」ものだとも思ってしまう、という社会的事件によってもたらされた常識の静かな更新をうまく捉えてそこに真正面から勝負を挑むパターン。

「そういえばそうだな(そういえば家って倒れるんだな、地震で)(そういえば地震で倒れる家と倒れない家があるな)」を狙って投げられていることは明確で、よくできた作品。

突くポイントがしっかり見えていれば、語り口自体はそれほどひねらなくてもしっかり届くと感じられる好例。

ただ、これ二次も通っていなくて、そういう意味でプロのコピーライターからすると「なにも言ってない」に感じられてる可能性があって、ちょっと調整する必要があるかも。どう調整するかはさておき。1行足すのかな。

課題図書

 言うまでもないけど、オフィシャルテキスト。

SKAT.15

SKAT.15

 

うちのエースは去年ある程度「見えて」いたはずで、もちろんほぼ上限数出したという理由もあるけれども、見ようと思えば見えるんだ、と思えるだけで私たちは恵まれているね、とそう思うのです。同じものを見ても感じ方が違う、みたいなそういう甘いもんじゃないですし。これ。羨ましさとありがたさと。今年こそ。

なぜ、ブログなのか。

「インプット・アウトプットを習慣化するため」です。

そのために「公開している場所で、改めて言葉で書く」ことの多くの効果を実感しているから、でもあります。

 

3人のうちの1人が、周りに勧められて始めたブログにて日々しがないことを自由に書いていますが、そんな中でも「自分自身の把握」「生活の中での気づき」「考えることの習慣化」などなどが少しづつでもできていると感じています。

 

よって、今回はそんな「ブログ」にて3人の目標を掲げ、日々インプット・アウトプットを続けること、またこのブログの存在自体によって自分たち自身を鼓舞し、最後まで走りきりたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

なぜ、今年なのか。

端的に言えば、「正しい学習によって結果が出る類の競技」であると、3人のうちの1人が昨年度(つまり、第53回)の宣伝会議賞で証明したため。

 

もちろん「正しい」からといって誰にでもできる、ということを意味しているわけではないのだけれども、それでも「これはちゃんとやると結果が出る」とわかることができたというのは非常に大きい。

 

なので、残りの2人も同じように正しく学習し、正しくアウトプットすることによって、3人で受賞し、卒業するというのを今年狙っています。よろしくお願いいたします。