「ない」 で曖昧さ回避。
宣伝会議賞では毎年50万本近いコピーが応募される。
審査員は各担当の企業の課題に寄せられたおよそ1万本近いコピーをおそらくエクセルで見ている。同じような切り口、視点のコピーが無数に並ぶわけです。
まず宣伝会議賞に限らずコピーの意味を読み手が理解できないということは避けなければいけない。いわゆるコピーで伝えたいことが明確であること。
明確に伝えるためにはメッセージの「白」か「黒」をはっきりさせる必要がある。
「YES」なのか「NO」なのか、「ある」のか「ない」のか、曖昧さを回避する必要があるということ。
・揺れるだけなら、人は死なない。
・わしは家で死にたいが、
家で怪我はしたくない。
・お母さんの顔なんて、
二泊三日見たくない。
・少年のような目をしたひとの
クルマには乗りたくない。
・上を向いた企業にしか、クラウドは見えない。
・人生で一番シェアするものは、
しょう油かも知れない。
第53回宣伝会議賞ファイナリスト30作品のうちの6本、
1/5の確率で語尾が「ない」で終わる作品が選出された。
「~かもしれない」の「ない」は若干の意味合いが変わるものの、
言いたいことに決定的に「ある」「なし」が定まっているものは読み手の呑み込みが良い。(私も昨年度2次通過が3本でしたがうち2本のコピーには「ない」という言葉が入っていた。)
「ある」のか「ない」のか、という言葉は最も文章の意味を明確にする2文字なのかもしれない。上位に残るコピーは押しなべて共感を生むものが多いけれど、そういう意味では日常人々がいかに「あり」より「なし」の否定的感覚を持って生活しているかもよくわかる。今一度「どうつたえるか」というフェーズで「ごく自然なもの」を「ない」と否定してみた言い方も繰り返し考えるべきなのだと思った。